テックファーム株式会社 取締役会長 筒井雄一朗 様

人材の探し方が普通じゃない!感性のリクルーター

“人生や社会の課題をテクノロジーで解決し未来をつくる”ことを目指し、独立系システムベンダーとして20年以上の実績を誇るテックファーム株式会社。その創業社長であり、現取締役会長である筒井雄一朗氏と石元との出会いは筒井氏の前職時代。“倒産”という苦難の局面でも逃げることなくクライアントのために奔走した筒井氏に絶大な信頼を置いているからこそ成し得たご縁がいくつもありました。
そんなご縁に繋がった筒井氏のご経験を伺いながら、20年来のお付き合いである石元についても語っていただきました。

テックファーム株式会社

新規ITサービスの立ち上げや、既存ITサービスの改善に関わる問題やモヤモヤを原因から見つけ出し、解決方法のご提示と解決手段を提示、顧客のサービスを技術でサポート。技術を「組み立てる」のではなく、デザインシンキングで「生み出し」、ユーザーである社会の真の問題解決に寄与している。

筒井 雄一郎(つつい ゆういちろう)

テックファーム株式会社取締役会長兼テックファームホールディングス取締役。神戸大学でシステム工学を学び、新卒でキヤノン株式会社入社。93年無料インターネットで一躍有名になったハイパーネットに転職するも、副社長CTOを勤めていた97年に倒産。98年ハイパーネットの仲間と共にテックファーム設立し、代表取締役社長に就任。2009年より現職。

妻の妊娠を機に初めて“人生”を考える
転職するなら今だ!

—— 新卒でキヤノンへエンジニアとしてご入社されたそうですが、キヤノンを選ばれた理由はなんだったのでしょう?

筒井氏:大学ではシステム工学の学科にいたのですが、プロジェクトマネジメントや、経営、コンピューターなどさまざまなことが学べる学科で、その時に「これからは通信の時代だ」と確信したのです。ですが、現NTTといった通信大手では新入社員は下っ端の扱いだろうなと思っていたところに、キヤノンが通信関係の事業に力を入れるという情報を得まして。そこなら若くてもいろいろやらせてもらえるだろうと、キヤノンがコピー機を作っていることすら知らずに入社しました。

—— 希望通り研究に没頭する日々だったのですか?

筒井氏:初年度は飛び込み営業から工場ラインでの作業まで、会社を知るための配属はありましたが、希望が通りじきにソフトウェア開発へ異動できました。

3年目を迎える頃には仕事が楽しくなりプロトコル、プログラミング、オブジェクト指向に関する本や、本に載っているソースコードなどを読みまくっていましたね。学生時代より遥かに勉強しました。もう、作りたいものがどんどん、どんどん出てきて。

—— そんな中、転職をされましたが。きっかけは何だったのでしょう?

筒井氏:その頃ちょうど結婚し、妻が双子を妊娠したんです。それを機に、いくら稼がないといけない?どんな父親になりたい?と、初めて人生について考えました。そして、キヤノンで貴重な経験をさせていただいてはいたものの、よりチャレンジングなことをしたい。そういう姿を子どもに見せたいと思い転職を決めました。

まだ26〜27歳と若かったのでやり直しもきくし、転職するならまだ子どもがお腹の中にいる今だ!とも思いましたね(笑)。研究職だったので学会や交流会などにも多く出席していて、その後転職することになるハイパーネットの社長とも、そんな会の中の一つで出会いました。

インターネット黎明期
社員2名から広がり続ける事業はアメリカへ

—— 転職先はどんな会社だったのでしょうか?社員が1名だったそうですが。

筒井氏:通信系のベンチャー企業で、社長と出会った時は社員0人だったんですよ。入社を決めた時、家内や家内の親族にどう話そうかと思いましたよね(笑)。実際には夜のお仕事から転職された優秀な営業の女性が1名いらっしゃいましたけど。

サービスとしては、当初パソコン通信の考え方を電話でできるようにして、FAXも融合したサービスでしたが、 その後そのシステムを応用してテレマーケティングのサービスも展開しました。そんな中95年頃から一般消費者向けのインターネット接続サービスが出始めて、「この先、電話はなくなる」という社長の見解のもと、広告ベースでインターネットを無料もしくは安価で提供するサービスを始めました。

当時は繋ぐとピーヒャラと音のするモデムを使用して、接続料が1分20円、電話料金もかかって3分10円と、1時間ほどインターネットに繋いだら4,000円弱くらいかかる時代でしたが、インターネットは確実に世界を広げるし、その環境を作っていくことは大事だなと。

それに伴い、ダイレクトマーケティングが必要となるね、メディアも作ろう、そのうち価格競争になるしサービスプロバイダに提供できる付加価値を作っていこう、検索エンジンもない時代だったのでコンテンツを届けるためにエンドユーザーがどんな人か分析して告知環境を整えれば、裾野が広がってみんながハッピーになるよね。 とどんどん広がっていって。

—— なんだかワクワクしますね。

筒井氏:ただ、これらは資本投下型のビジネスだったので、ベンチャーに対する資本市場がない当時の日本では限界があるということになって、アメリカのナスダックへの上場を考え始めました。

アメリカで上場するにはアメリカでサービスを立ち上げる必要があり、テレマーケティングの部門も見ていた私の労働時間はえらいことになっていました。同じように働いていた当時のK部長が、採用面談で候補者の人に「何時に帰れますか?」と聞かれ「早ければその日の終電、遅ければ次の日の終電」と答えていた記憶があります(笑)。

紹介されたリクルーターのとんでもない人選方法にびっくり

—— アメリカとのやりとりには時差もありますしね。

筒井氏:実際、直接いくことも多かったです。金曜の夕方に直行便でサンノゼに飛んで朝の10時について仕事をし、土曜夜の便に乗って日曜の夜に帰るといったスケジュールを月に3回こなしたこともあります。

「これは日本国内で開発の現場を見てくれる人を入れないと死ぬな」と思いました。そこで紹介されたのが石元さんだったんです。1996年のことでしたかね。

—— 実際に採用にも繋がり、現在も御社の要職についておられるとのことですが、どのような方だったのでしょう?

筒井氏:お会いして1〜2分で「とにかく来てほしい」と思った方で、銀座などにもお連れして口説きました。考え方がロジカルで、当時珍しかったオープン系のシステムへの造詣がとにかく深かったんです。

こんな人をどうやって連れてきたんだろう?どこにいたんだろう?と思って石元さんに聞いたら「パソコン通信のUNIX関連のコミュニティーの中で場を取り仕切っていて一番生意気そうだった」と言うんです。 当時、UNIXをわかるエンジニアがほしいとオーダーを出していたので、会社の枠を超えてパソコン通信でそれに関わる会話をしているコミュニティーへアプローチされたみたいで。「だって技術のことは分かりませんから」と(笑)。「そんなやり方があるんだ!」とびっくりしましたよ。 普通は人脈をたどったりするものでしょ?お渡ししていたスペックではなく石元さんの感性で探されてる感じでした。

しかも、その方は大手企業の開発でも要職についていて、転職の意向は全くなかったと言うからさらに驚きですよね。

—— 石元は「ヘッドハンティングの候補者は転職志願者の中にはあまりいない。現職バリバリで働いていて、転職もあまり考えていないような人がターゲットだと思っている」と言いますね。
候補者が「ここにいてもよいかもしれないが、ほかでも自分の可能性が試せる場所があるのかな?」と思った時に、チャレンジしがいのあるチャンス・ポジションが目の前にあれば、転職の可能性もでてくることもある、と考えているようです。

倒産を乗り越え6名で再出発も、3年で100名に!
急成長の中ですごい経歴の人きた!

筒井氏:なるほど。確かに、その人はいちエンジニアで、こちらが要望として出していたマネジメント経験はなかったものの、エンジニアを動かすことには長けていて、常に彼のチームは一丸となって仕事していました。彼が入社して1年半後にハイパーネットが倒産し、多くの社員たちが離れていった中、新たに会社を立ち上げたメンバー6名のほとんどが彼のチームの人間でした。

ハイパーネットが得意とした技術や人脈から、その後一時代を築いたi-モードの仕事を請け負ったり、java関係の大きなプロジェクトに参加したりなど、2〜3年で会社は軌道に乗りはじめました。社員も100名ほどに増えていたと思います。その時点で私は社長業の傍ら、営業も法務も担っていて、組織づくりのために再度石元さんに採用のお手伝いをお願いしはじめました。

—— バックオフィスの充実ですね。

筒井氏:2008年に上場しましたが、その3〜4年前からは特にそこの体制を整えることは必須で、石元さんに「上場請負人はいないか?」とお願いしました。

驚くことにお願いして3時間後くらいに「いました!」と連絡をもらって。それがまた驚くほどハイスペックな人だったんです。米国の有名大学院を卒業後、大手運送系会社に入り、20代でアジアのトップを務めた人で、そこからさらに2社で要職を経験されたのち、新たなキャリアを求めていると。すでに数社からオファーレターをもらっているとのことでしたので、急ぎ会う約束を取り付けました。

オファーした内容は他社に比べてよくはなかっただろうし、会ったのも渋谷の雑居ビルの中の庶民的居酒屋だったのに、来てくれることになって。正直どうして選んでくれたのかわからなかったのですが、弊社的には精一杯出した提示条件を、彼は“低く提示して自分を試している”と勘違いしたらしく、いまだに「騙された」といいます(笑)。

—— 石元によるとその方は上場したら辞めるとおっしゃっていたとか。

5年で辞めると言っていましたが、タイミング、タイミングでちょうど谷が来るんですよ。RPGゲームでずっとゴールに辿り着けないみたいな(笑)。途中で投げ出すような人ではないので、結果、今も一緒に頑張ってくれています。

—— 投げ出さないところは、ハイパーネット倒産時にお一人で債権者回りをされていた筒井さんに共通しますね。

筒井氏:不義理はね、しちゃいけないですよ。倒産するということは、周りに迷惑をかけまくることですので、そこで逃げたら後の人生もずっと逃げることになります。でも、あとの人生のほうが長いですから。後ろめたさなく前に進むには、頭を下げるしかない。

倒産時の大変さはあったものの、ハイパーネットで働いてよかったことは、とにかく仕事が楽しくて、時間に関係なく、ある目標に向かってみんなで突き進んで、今では信じられないくらいのスピード感で物を作り、ビジネスを立ち上げた経験を持てたことです。今の時流にはフィットしないかもしれませんが、人生の中でそういう時期があってもいいのでは?と思いますね。

とはいえ、私は基本受け身なので相対的に見て自分の役割、つまり何をすべきかを決めるんです。倒産時の苦労も、新会社の社長業もその一つです。

転職は一大決心。キャリアパスの充実で離職を回避

—— 御社ではキャリアパスが豊富に用意されていますが、それは環境が役割を作ることに繋がるというお考えからでしょうか?

筒井氏:実は、キャリアパスをなるべくたくさん用意したいというのが上場までして会社を大きくしたかった理由の一つです。
最近のエンジニアは特にですが、転職の際に自らが会社を選んで入ってくるわけではなく、ほとんどがエージェント経由で、自らの意志が熟成する前に面接を受けて入社してくるんです。そのため、入社してから「違った」と思うことも多いと思うんです。そんなとき、キャリアパスの選択肢が多ければ退職にはならないかもしれない。転職とは一大決心ですから、失敗したり、違和感を覚えたときにフォローできる体制をとっていてあげたいなと思います。

—— 今後も採用は続けられると思いますが、これまでのジェムストーンへの評価と、今後期待することはどのようなことでしょうか?

筒井氏:石元さんはまず、私のことをよく考え、理解してくれます。その上で、スペックだけでなく候補者自身の人となりを見て、「筒井さんに合いそう」「筒井さんに必要なのはこんな人かな?」と独自の感性で候補者をさまざまな方法で見つけてきてくれます。

うちに来てくれた人たちも、石元さんを信頼し通じるものがあったんだと思いますし、石元さんとは、入社して終わりではなく、それ以降もずっと繋がっているところがすごいなと感じます。今の会社を立ち上げて、まだ石元さんにお仕事をお願いできる状態ではないときも、石元さんの紹介でハイパーネットに入社した者と繋がり続けてくれていたので、その後の紹介もスムーズだったのかなと思いますね。

これまでの採用に関して欠けていたと思うことはないですし、信頼もしています。

今後、期待することがあるとすれば、ジェムストーンさんの本流であるエグゼクティブのハンティングとは違いますが、将来エグゼクティブになれる若手を早い段階から見ていてあげてほしいと思います。私自身もすでに世代交代していなければならないとは思いつつ、まだ現役を退けない状況でもあるので。

日本で一番多い職種は「社長」です。失敗を恐れずやってみればいい。見る世界が変わるし、絶対にいい経験になりますから。そんなチャレンジする人たちの応援をしてほしいですね。

聞き手/ライター:大倉奈津子